9痣


 くすんくすんとまだ泣き続ける。
 少しは落ち着いてきたが、不発弾抱えてる気分でいっぱいだ。
 一応、保険のためにバットは取り上げさせてもらう。

 前から思ってたことだが、コイツの名前なんだったけか。
 姉は『うた』だ、間違いない。何度もクラスが一緒になったし、一応友人だ。
 しかし、コイツの名前は本当に知らない。むしろ、普通うたから「弟が」とか「妹が」とか聞きそうなものだが、コイツの話はとんと聞かなかった。
 いや、コイツ単体とも何回か話はしたぞ?
 こんにちは、とか、いいお天気ですね、とか。
 おとなしい子とは思ってたが、ここまで攻撃的だとは思わなかった。
 あれか。あの「まさかこの人がこんなことを」パターンか。だとすると被害者は俺なのか?
 あと、三人で話した記憶がひとつもない。
 むしろ、うたとコイツが話してる姿を一度も見ていない。家では話してんのかコイツら。

「なぁ、お前名前は?」
 勇気をだせ、俺。ガードは完璧だ。と自分を奮い立たせる。
 そうじゃなきゃ話しかけれないって、どんだけだよ、俺。
「…………せす」
「ん?」
「とりいせす」
 鳥居世寿、と机の上に字を書く。
 少し落ち着いたのか、やっとこっちの話を聞く気になったようだ。
「えーっと、せす? なんか飲みもん飲むか?」
「…………」
 黙りこむ……というより、なんだか肩が震えてるんだが。
 案の定、また泣き始めたせすを前に俺はおろおろしているだけだった。
 ああ、俺貴重な休日費やして何してるんだろう。


「…………飲み物、ちょうだい」
 ひとしきり泣き喚いたあと、せすがそう要求してきた。
「ああ、えーっと、牛乳でいいか?」
「うん……」
 我が家の冷蔵庫の中には牛乳が常にストックしてある。母さんが、俺の身長を伸ばそうと画策した名残であり、そのおかげで、俺は175cmという身長をいただけたわけだが。
 一階に下りて、牛乳とコップを二つ手に入れて、二階に戻る。
 差し出したコップを両手で抱え、ちまちまと飲む様はまるで小動物だった。
「……ごちそうさま」
 半分ぐらい牛乳が残ってるコップをテーブルの上に置き、一礼する。
 こうしてみると、ただのおとなしい子供なんだが……。
 顔をあげたせすは、あたりをきょろきょろと見回し、それから俺の目を見据えて……
「……えっと、その……」
「……なんだ?」
「殴らせて」
 と言ってきた。
 少しは予測できてたことだが、改めて言われると、なんで俺は家まで連れてきたんだ? と思う。
 しかも、とりあげたはずの金属バットもせすの足元に置いてあるし……。
「嫌だ」
「…………だめ。殴るね」
 ちょっと待て。断定系に進化してないか?
 よっこらせ、とせすは立ち上が……ろうとして、テーブルにぶつかった。
 コップが傾いて、中の牛乳が……あー床までこぼれちまった。
 せすはじぶんの服を見てぼーっとしている。
「あーあ、お前のトレーナーにまで……」
「…………」
「……ったく。これお前にやるから着替えろ」
 と、衣装箪笥の中の俺のトレーナーを投げる。
 ぽすんと受け取ってから、せすはいきなり上を脱ぎ始めた。
 あまりにもあっけらかんとしていて、いや、男同士なら恥じらいもないだろうが、お前女じゃないよな? という思考に没頭しようとした時、俺の目にあるものが留まった。
「なぁ、その痣何だ?」
 白いランニングシャツから見える大小さまざまな痣。新しそうなものからほとんど消えかかってるものまで色々ある。
「これ?」
「ああ」
「……………………ぶつけた」
 たっぷりとした間をとって、せすは答えた。
 ただでさえ、正常な感情なんて浮かばない瞳を濁らせて。
「ぶつけた、って。お前、そんな鎖骨の辺りとか何にぶつかりゃそんな痕つくんだよ」
「…………ぶつかったんだもん」
 すっぽりと、今まで着てた服よりぶかぶかなトレーナーを被って、せすは顔を隠した。
 ぶつかったんだもんぶつかったんだもんぶつかったんだもん、とぶつぶつとセーターの中でせすは唱え続ける。
「ねーちゃんが『ぶつけた』って言ったんだもん。だから、ぶつけたんだもん」
「…………わかった」
 なんだか少しだけ不憫に思った。
 なんでかはわからない。だが、なぜか不憫に思った。
 だが、不憫に思ったからと言って、こんな危険物体いつまでも置いておくわけにはいかない。
「用はすんだよな? ほら送ってってやるから帰れ」
「……うん」
 どういうわけか素直に頷いたせすを、俺はこいつの家まで送っていった。




続く







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