8蜘蛛の巣


 俺は今、せすの家の前にいる。
 ついでに、右手はせすの手とつなぎ、左手はあのバットを持っている。
 いや、殴られたらたまらんしな。
 バットを持ったまま、無理矢理チャイムを押す。

 ぴんぽーん

 情感もへったくれもない音が響く。いや、チャイムの音に趣を求めてもしょうがないが。

「…………ねーちゃん、たぶんまだ帰ってない。ありがと送ってくれて」
 ぺこりとお辞儀をされる。こうしてりゃ普通のガキなのに。
 一応構えつつも左手のバットをせすに返す。これで人を殴るなよ、と釘を刺して。
「じゃあ、ぼくもう家に戻るね。あと、これ……」
 と、トレーナーをひっぱる。どうすればいいか問いかけてるようだ。珍しい常識っぷり。
「あ、服はやるよ。いらなかったら捨てるなりなんなりしてくれればいいし」
 こくん、とせすが首を前に傾ける。
 意外と聞き分けがいい。
 なんだか鈍器で殴ろうとしたときとか、この前刃物かざしてた時と性格違わないか、こいつ。
「じゃあね……」
 家の中に消えていくせすを見送りながら、俺は違和感を抱き始めていた。


*****


「ただいま」
 誰も居ない家へぼくは帰ってきた。
 ねーちゃんは学校かおじさんち。きっと叔父さんち。
「おかえり」
 さみしいから自分で言い返す。ちょっぴりむなしい。
 カーテンまで閉め切った真っ暗な家の中をてくてくと歩く。
 屋根裏の自分の部屋まできて、壁に背をあずける。
「きょう、は……」
 だぼだぼの服をひっぱって、顔を隠す。
 ほんの少しのおひさまの匂い。
「なんだか楽しかった」
 この服はどっかに隠しておこう。
 ねーちゃんに見つかったら、びりびりに破かれるんだろうなあ。
 服を着替えながら、頭の片隅でそんなことを思った。
 初めてのねーちゃんへの秘密。ちょっぴり嬉しかった。
 こんなに気持ちがほわほわしたの久しぶりだ。
 なんだろう、顔が熱い。

 あぁ。でも、むしゃくしゃする気持ちは残ったままだ。すっごく誰かを傷つけたい。
 あの人なら殴っていいよね。うん。殴っていいと思う。
 そういえば、あの人の名前なんていうんだろう。
 ぼくが傷つけても、逃げ出さなかったのってあの人ぐらいだ。
 猫も鳥も犬もみーんな逃げていっちゃった。
 …………さみしいのに。
 ぼくを置いてみんなどっかに行っちゃうんだ。
 彼らが残っててくれるのは、真っ赤に染まった時だけ。
 でも、真っ赤になった彼らは、ねーちゃんがどっかにやっちゃうんだ。
 こんなものいらないでしょう、って。

「世寿居る?」
 制服姿のねーちゃんが部屋に入ってくる。
 なんだか、機嫌悪そう。ぼく、何かしたっけ。
「叔父ちゃんがね、世寿と遊びたいんだって! 私じゃなくて、世寿と遊びたいんだって!」
 ぼくを何度も蹴りながら、ねーちゃんが叫ぶ。
 あの叔父ちゃんと遊んでも楽しくなんかないのに。痛いだけなのに。
「あんたなんか居なきゃ良かったのに。ほんと居なきゃよかったのに。
 母さんも父さんもきっとそう思ってる。絶対そう思ってる。だから家に帰ってこないのよ!
 知ってた?! 知らないわよね! あーもうほんと最悪!」
 一通りわめき散らすとねーちゃんは去っていった。

 これは、いつものこと、普通のこと。
 ねーちゃんがむかついたり殴りたければ、殴っていい。そう言ってた。
 ねーちゃんがやってるんだもん。別にぼくがやったっていいはずだ。
 そうでしょう?
 それに、ぼくは悪い子だからねーちゃんや、かあさんや、とうさんに嫌われたんだ。二人とも家に居ないのは、ぼくの所為なんだ。ねーちゃんがそう言ってたから間違いない。
 だから、殴りたいと思われるんだ。
 それは当然のこと。あたりまえのこと。
 学校に行っちゃいけないのも、ぼくが悪い子だから。
 みんなに殴られるから行っちゃいけませんってねーちゃんが言ってた。
 ここにいれば安心だって。
 ねーちゃんに従って、ねーちゃんの真似してれば間違いないんだって。
 だから、ねーちゃんに反抗しちゃいけないんだって。

 あたりまえ、あたりまえなのに……
 どうしてだろう、すごくむしゃくしゃする。

 こみあげる吐き気を抑えながら、ぼくはそうぼんやり思った。




続く






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