7泥


 あれから四日。
 学校帰りに病院に寄ることが日課になってしまった。
 なんで俺が会いに行かなきゃいけないんだと抗議したんだが、「お母さん忙しいのよ?」の一言で決定となった。
 怪我自体はたいしたことないんだが、体中(主に腹部)にあった痣に虐待の疑いがあるとのことで、せすはなかなか家に帰らせてもらえないらしい。本人は帰宅を希望しているらしく、それを宥めるのも俺の仕事になってしまっている。

「おーい、来てやったぞー」
 引き戸を開けると案の定、せすが一人でベッドの上に座っていた。
 もう、こいつなんか怖くないね。
 ……とは思っているが、一応、凶器になりそうなものがないか確認してから入る。
 よし、陶器製の花瓶はないな。
 凶器の確認が日常になっているのに気づき、少々落胆する。

「あ……飛鳥だ」
 呼び捨てか。
「あれ、名前教えたか?」
「……この前、飛鳥のおかーさんにきいた」
 ……母さん。せめて「飛鳥さん」と呼ばすようにしといてくれよ。
 母さんがいそう(……といっても、きっと見当違いの方向を向いているんだろうが)な方角を向いて怒りを飛ばす。
 そんな傍から見れば変な行動をとっていると、俺の袖がぐいぐいとひっぱられた。
「何だ?」
 出来る限り和やかに対応する。
 枕程度ならいいが、こいつは怒らせると色々投げてくる。この前は花瓶を投げつけてきたっけ。おかげで今この部屋には、プラスチック製の花瓶が置かれている。
 正直、ここに通うようになってから生傷が絶えない。

「………………かえりたい」

 ぽつん、と呟いた。
 最後の方はほとんど蚊のなくような声になっていたが、それでもはっきりと俺の耳に届いた。
「いや、だから無理なんだって……な?」
「…………………………」
 ことさら優しく言葉をかけると黙ってしまった。いつでも、防御できるように身構える。
 ……が、反応がない。
「どうし……」

 泣いていた。
 ただただ静かに泣いていた。

「せす……」
 いつもなら、お前は怪獣かと思うような大声で泣いて暴れるくせに、声もあげず、ただ、ただ、涙をこぼしていた。
 これで男だったら「男のくせに泣くな!」と言ってみることも出来るだろうが、こいつだって、女の子なんだよな……。いや、見た目で判断出来ないのはそのままだけど。
 ため息をひとつついて決意する。
「わかった。看護師さんに言ってやるから」
「ほんと? ほんとにほんと?!」
 がばっ、といきなり上を向く。さっき泣いた烏がもう笑った。
「本当だ」
 微笑み返しながら、こいつは本当にガキのようだと今更ながら思った。



 俺の通ってる高校の話や、せすの病院での話など下らない話を延々として、時計を見るとそろそろ五時。
 なんだかんだで、一時間は居た計算だ。
「それじゃ、今日はそろそろ帰るな」
 荷物をまとめて、立ち上がる。あんまり長居しても仕方ないだろう。
「うん。また来てね。あと……」
 にこにこと見送っていたせすの顔が、急に俯き暗くなる。
「わーったわーった、伝えとくよ」
「うん!」
 勢いよくあげた顔は、季節はずれのひまわりのように輝いていた。
 両手を、ちぎれるんじゃないかと思うくらい振るせすに、つられて手を振り返す。
 じゃあな、とせすの病室から出た俺の足元に何かがあった。
「ん?」
 しゃがみこんでよくよく見る。
「なんだ、これ?」
 泥?
 泥の塊にしては、何か大き……

 ガン

 突然の衝撃に俺はそのままつんのめる。


 だ……れ…………。
 振りかえって確認しようとした瞬間――


 ガン


 二回もの衝撃をくらって薄れていく意識の中、確かにせすの顔を見た気がした。




続く







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