6固まった血


 夢を見た。
 とてもとても遠い過去。
 あったかい日差し。笑ってるとうさん、かあさん、ねーちゃん。
 ピンクのボールがころころ転がって、ぼくとねーちゃんが池のところまで取りに行って。
 笑って、笑って……。

 目が覚めて、泣いていた。
 とてもいい夢だったのに……。
 なんだか、体中痛いし、ぼーっとする。
 頭に手を当てたらなんだか熱い。
 でも、気のせいだよね。

「こんにちは」
「よ、よう」
 夕方、つい、あの人を待ち伏せた。手には何も持たずに。
 何も持ってないことに安心したのか、彼が少しだけ警戒をといた。
「…………」
「…………」
 お互いに何も話さない。
 会ったら、色々と言いたいこととかやりたいこととかあったのに、全部消えちゃった。
 必死で思い出そうとしてると、めずらしく彼の方から質問された。
「なぁ、お前…………その足どうした?」
「足?」
 両足を見てみる。何もおかしなところはないと思うけど。
「足。左足だよ! その黒いの何だ?」
 ああ、これか……。
 昨日切った部分から出た血が、ズボンを赤黒く染めていた。
「切っただけ」
「…………ちょっと見せてみろ」
 膝のあたりまでズボンのすそが持ち上げられる。
 案の定、傷口にかさぶたが出来て、周りは流れた血の色で赤く染まっていた。
「…………あと、その臭い、何だ?」
「キムチ」
「食べたのか?」
「ううん」
 そういえば、今日もまだ何も食べてない。
 お腹がすいてないといえば嘘になるけど、食べなくても大丈夫。
「それに、顔も。なぁ、なんで手当てしないんだ?」
「てあて?」
 なんだろう、てあてって。
 なんだかわけのわからないことを言うなぁ……。
 それよりも、さっきから、なんかめのまえが、かすんで、みみなりが、ひど……い……


*****

 ふらっ、とアイツが前に傾いた。
 あわてて、せすを支える。

 いきなり現れた時から、なんかおかしいのは気づいてた。
 いや、こいつがおかしい人間なのはもとからなんだが、それとは違ったおかしさというかなんというか。
 左頬が腫れてて、変な臭い(キムチらしい)がして、ズボンの膝下あたりはまっくろ。背中もまっくろに染まっていた。
 …………病院、連れて行ったほうが良くないか?
 状態も今の状況もよくわからないが、救急車と自分の家へ連絡を入れておいた。ああ、まさか一週間そこらで二度も救急車を呼ぶはめになるとは。

 救急車を待ってる間に、母さんが俺らのもとまできた。
 大人の方が良いってんで、母さんが救急車に乗って、俺は取り残された。
 正直、何がなんだかわからない。
 だけど、気になる……。
 なんか昔似たような気持ちになったことがある気がする……気のせいか?

 ピンポーン

 また、あの情感もへったくれもない音を鳴らす。
 今度はひとりで。

「はい」
 女の子の声。
 きっと、姉のうただ。
「あー川原ですけど」
「あ、飛鳥君?! 待ってて、今あけるから!」
 数十秒後、ガチャという鍵を外す音がし、扉が開けられる。
「わー、どうしたの? さ、どうぞ入って入って」
 すっと中を指し示される。
 リビングに案内するうたの横顔を見ると、らんらんと輝いていた。
 姉弟ってだけあって、よく似てるなぁ。
 そう思いつつも、俺はここに来るまでに考えてきた質問をぶつけることにした。
「わー。嬉しいなぁ。で、何の用?」
「あのさ……」
 まずは答えやすそうなところから。
「鳥居って、せすって名前の弟いたよな」
「いないよ」
「は?」
 うたは、頭に『?』を浮かべている。
 あれ、弟いないって…………じゃあ、あいつは誰なんだよ。
「あはは。勘違いしてるよ。あのね、世寿は女の子だよ。知らなかったっけ?」
「ああ」
 大笑いするうたにあわせて、俺も乾いた笑いをもらす。
 げ、女だったんだ、アイツ。
 受け止めても、子供みたいな体格だったからわからなかった。
「で、世寿がどうしたの?」
 にこにこと笑みを絶やさずに質問してくる。
 さっきから感じられる莫大な好意となごやかな空気。
 これなら、訊けるかな。
「あ。えーっと、なんだか怪我してるみたいだったんだけど」
「え、何それ。しらない」
 にこにこと笑みを絶やさずに返答された。
「それよりも、他にご用件は?」
 にこにこと、そうにこにこと、俺が他の用件を切り出すのを待っている。
 妹のことなど一切気にせずに。
「それで、その妹なんだが」
「世寿のことはどうでもいいじゃん。他に用件ないの?」
 少しだけ気分を害したようだ。顔から笑みが無くなってく。
 ぎゅっと握り締められたうたの拳が、膝の上にちょこんと乗った。
「他の、用件、は?」
 噛みしめるように一単語ずつ訊いてくる。
 目が明らかに笑っていない。
「……ない」
「そうなの」
 あきらかに「残念だ」という顔をして、うたは俯く。
 ここは、嘘でも別の用事を言っとけば良かったかな。
「そうなのかぁー」
 そう言いながら顔をあげたうたは、妙に晴れ晴れした顔つきでこう述べた。
「じゃあ悪いんだけど、親戚が来るから帰ってもらっていいかな」
 にこりとした顔が妙に不気味だった。目や表情から輝きを一切感じない、その顔が。
 全身から漂う気配は「あなたに関心はありません」と物語っていた。
「あ、ああ。じゃあ、帰るな」
「うん。バイバイ」
 バタンとうたが扉を閉める。
 完璧に閉じられるまで、俺は得体の知れない恐怖に襲われたままだった。




続く







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