「ねぇ、ねーちゃん。なんでこの人せーかくがさっきとちがうの?」
「それはね、にじゅうじんかくだからよ」
「にじゅーじんかく?」
「ひとりの人の中に、ふたりの人がいるかんじかな」
「うーん。よくわかんないや」
「何の話をしてるんだい?」
「パパー、にじゅうじんかくってなあに?」
「せす、わたしがせつめいしてもわかんないって」
「ああ、二重人格っていうのはね……」


3暗闇の中の一つの光


 新妻の話によると、せすの両親は午後に到着するらしい。
 正直、一刻でも早く来て欲しい。
 はやく、こいつを元に戻したい。
 何度目かわからない祈りを捧げたとき、ふと視線を感じた。

「……せす?」
 人形のように無表情だが、ベッドに座っているせすがじっとこっちを見ている。
「どうした?」
「…………なにしてるの?」
「!」
 久々に聞いたあいつの声は、少々弱々しかったが、でも、きちんと言葉になっていた。
「祈ってたんだよ」
「いのる?」
 首をかしげた後、あいつは少し眉をひそめた。
 俺は出来る限り優しい声で、優しい顔で、あいつに伝える。
「ああ、お前がきちんと元に戻りますようにって」
「………………」
 重い沈黙が続く。
 なんかおかしなことを言っただろうか。
 いや、おかしなことは言っていない。これは真実だ。
「ねえ、飛鳥。本当のぼくって、どれだと思う?」
「は?」
「だから、おとなしい世寿か、自由なせすか……」
 天井を見上げて、ぽつりぽつりと喋る。
 だんだんとはっきりとしていく声に、俺は安堵と不安を両方感じる。
 なんだか、全て消え去ってしまいそうで。
「それとも……」
「ご両親到着したぜ!」
 石垣の馬鹿でかい声にせすは黙ってしまう。
 どうやら、ちょっと風邪をこじらせて入院したということにしたらしい。
 親御さんは、入るなりせすをきつく抱きしめた。
 せすは、嬉しそうな、それでいて困ったような顔をしていた。

 せすの両親は今日はせすんちに泊まるようだ。
 案内役の石垣が親御さんをせすんちまで連れて行く。
 家の片付け等はうたと新妻がやっているはず。
 病院には、俺とせすだけが残された。

「ねぇ…………あすか……」
「どうした?」
 あいつはまた、天井を見上げて、ぽつり、ぽつりと、言葉を口にしていく。
「かあさんも……とうさんも…………、ぼくのこと、嫌いじゃないって」
「そうか……」
 先ほど、石垣のせいで中断された続きが気になる。
 だが、ここはあえて、せすの言いたい通りに言わせてやろう。
 全部聞けば、きっと何かわかると思うから。
「うたねーちゃんが、いってたこと……、嘘、だった……」
 少しずつ涙声になっていく。
 俺は、一区切りごとにうなづいた。
「あのね、飛鳥……、ぼくね」
 普通の子になりたかったの。
 そうあいつは呟いた。
 確かに暴力的だけど、普通かと聞かれたら、はいと答えられる気もするが。
「普通に、学校行って……、かあさんの作ったご飯食べて、とうさんと遊んで……」
 涙を一粒こぼす。
 それがきっかけになったのか、せすの両目からぽろぽろと涙がこぼれていった。
「ねーちゃんともね、昔はいっぱい遊んだんだ。今はね、ねーちゃん、ぼくには怒ること以外しないけど」
 上を向いた目は、きっと小さい頃を見ているんだろう。
 こいつの中で、一番楽しかった時期。
「これでいいんだ。って思った……。悪い子なんだからって…………。ねーちゃんが言ってること、全部本当だと思ってたから。
 でもね、飛鳥がね、普通に接してくれて。だからね、普通の子になりたくなったの。だって……」
 フツウノコナラ ソバニイラレル。
「なっ……」
「でもね、結局飛鳥はいなくなっちゃったね。ねーちゃんまっかにして、あすかもまっかにして、そしたら、ぼくはふつうの『世寿』になるはずだったんだ」
 失敗しちゃったけどね。
 こっちを向いて、せすが笑う。
 はじめて見たたんぽぽのような笑みではなく、どこかかげりのある笑みで。
「お前何言って……」
「あのね、にじゅーじんかくになれば、いらないほうの人がいつか消えるんだって。
 だから、にじゅーじんかくになれば、いつかぼくもこの悪い子のほうの性格がきえるんだよ。
 だから、だからね。ぼくのこんな性格は消さなくっちゃ」
 パチリと、何かのピースがはまった気がした。
 ああ、そうか。
 こいつは、ただ、2人の自分を演じていたんだ。それも、無意識に。
 二重人格だと思い込んで、嫌な自分を消そうとした。
 きっとまた、何か変なものでも見たんだろう。二重人格っていうのは、そんなものじゃないのに。
「別にいいんだよ」
「え?」
「別にそんなことしなくていいんだよ」
「でも!」
 なんとなく、せすを抱きしめた。
 ああ。なんかやっと思い出せた。
 こいつはあいつに似てるんだ。
 結局死なせてしまった。あの猫に。

 小さい頃、捨て猫を拾った。
 昔の飼い主を思い出して、毎日家から逃げ出して。
 友達と協力して、もとの飼い主に返してあげたんだ。
 子供心に良いことしたと思った。
 これで、この猫は大丈夫だって。
 でも、飼い主は面倒をみなくて、結局猫は衰弱死しちゃって。
 そうだ。その時誓ったじゃないか。
 今度は、自分で面倒を見るって。


「それにな、せす。二重人格の意味が違ってる」
「そうなの?」
「そうなの」
 ぱちくりとまばたきをくり返すせすに、きちんと頷く。
 先ほどから何度も浮かぶ猫の顔。
 こいつをあの家に戻したら、あのときの猫のように死んでしまうんじゃないだろうか。
 また後悔したくない。
「なぁ、せす。うたから離れろ。両親のところで、一緒に暮らせ。な?」
 しっかりと、あいつの目を見て言う。
「でも……」
「今のお前にとって、それが一番いいと思う」
 しばらくの間悩んでいたが、少しためらいつつも、あいつはしっかりと頷いた。


 これで、解決したかどうかは知らない。
 けれど、今、俺が出来るのはこれぐらいだと思う。
 でも、俺は、最後まで面倒見ると決めた。
 だから……

「いつか、迎えに行ってやるから」


 それまで、どうかせすが元気で暮らせるよう、また何かに祈ろう。
 いつか、迎えに行く日まで……。










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