それから


「ねぇ新妻くん、死にたい」
 二人っきりになると、彼女は歌うように告げる。笑い声が聞こえそうなくらい軽やかに。
 彼女なりのSOSサイン……ではない。彼女は本当に死にたいと思ったら、僕に告げる前に行動を起こしている。
 だからこれは
「うたさんに死なれたら僕は困るな」
「あら、残念だわ」
 僕らなりの挨拶。

 うたさんをうたさんと呼ぶようになってかなり経った。
 出会った頃は、鳥居さんって呼んでいたのに。
 僕、新妻数夫(にいつま かずお)は大学生。鳥居うたさんは短大生。共に二年生と言いたいけど、うたさんは一年生。色々な都合があって遅れたんだけど、「年下が同級生というのもいいものね」と、なんだか含んだ笑みで言うものだから、気が気でない。
 今、僕はカウンセラーになるべく心理学を学んでいる。だけど、まだまだ実践には程遠くて。
 うたさんに早く近付きたいのに。彼女を彼女から護りたいのに。僕が手をこまねいている間にも、うたさんはどんどん自分や他人を傷つける……。
 普段は猫をかぶってるけれど、お互い気付かずに、深く深く傷つける……。

 彼女曰く、人は三つに分かれるそうだ。
 尊敬できる人、使える人、関係ない人。
 僕がどれに含まれるのか、彼女は未だ教えてくれない(……が、彼女は訊くたび悩むような仕草をする)。
「うたさん、学校はどう?」
 いつも通りさりげなく訊く。彼女の答えはいつも同じ。『まあまあよ』。
「あなたはいつも同じ質問ね」
 違った。珍しい。
「たまには変えてみたら?」
 彼女は髪がうっとおしいのか、耳もとをかきあげ提案する。
「え……あ……じゃあ……」
 困った。
 訊きたいこと、話したいこと、この一週間のうちいっぱいあったのに。
 テンポを崩されただけで、ここまで何も出なくなるものなのか。メモでもしておけばよかった。今になって後悔する。

 はぁ、とため息の漏れる音がうたさんから聞こえる。また僕はうたさんを失望させてしまった。
 進路が分かれた時、僕は改めて彼女に忠誠を誓った。……と言っても彼女は知らない。心の中で、僕が彼女に誓っただけだから。
 これが恋ならどれだけよかったか。
 お互いに相手を好き合えばいいだけならどれだけよかったか。
 僕と彼女は共に依存しあってる。
 彼女は僕に依存し、僕は彼女の世話をやくことに依存している。
 自惚れだろうけど、きっと僕がうたさんの味方じゃなくなったら、彼女は間違いなく死ぬだろう。
 逆に、彼女が独り立ちしたら、僕は発狂するかもしれない。
 お互いに利用しあってる僕らが、恋人のように幸せになるなんておこがましい。

「……じゃあさ、うたさん。その……誰かいい人、見つかった?」
 探りをいれる。発狂するために。
 彼女が死にたいと言うように、僕だって壊れたいんだ。
 早く、早く、早く。
 僕を楽にしてくれ。

「……女子大にいると思っているの?」
 僕の気持ちに気付いたのか、彼女は眉をひそめる。真っ黒な目が、じっとこちらを見据えた。
「あ、え……その……」
 目がおよぐ。
 彼女はまた、はぁと息をつくと
「まだあなたを解放してあげるわけ、ないじゃない」
 と口許を少しあげ、小さな声で、しかしはっきりと、宣言したのであった。







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